賢帝の世紀

 メモ。新潮文庫の2006年9月新刊で、塩野七生ローマ人の物語」より『賢帝の世紀(上)』、『賢帝の世紀(中)』、『賢帝の世紀(下)』の三刊が発売の予定。

賢帝の世紀(上)
ローマ人の物語 24― 塩野七生
紀元二世紀、同時代人さえ「黄金の世紀」と呼んだ全盛期をローマにもたらしたのは、トライアヌスハドリアヌスアントニヌス・ピウスの三皇帝だった。初の属州出身皇帝となったトライアヌスは、防衛線の再編、社会基盤の整備、福祉の拡充等、次々と大事業を成し遂げ、さらにはアラビアとダキアを併合。治世中に帝国の版図は最大となる。三皇帝の業績を丹念に追い、その指導力を検証する一作。

賢帝の世紀(中)
ローマ人の物語 25― 塩野七生
トライアヌスの後を継ぎ皇帝となったハドリアヌスは、就任直後、先帝の重臣を粛清し、市民の信頼を失っていた。しかし大胆な政策や改革を実施することにより人気を回復。そして皇帝不在でも機能する組織固めを確実にしたハドリアヌスは紀元121年、念願の帝国視察の大旅行に旅立つ。目的は帝国の安全保障体制の再構築にあった。治世の三分の二を費やした、帝国辺境の旅。それを敢行した彼の信念とは……。

賢帝の世紀(下)
ローマ人の物語 26― 塩野七生
安全保障の重要性を誰よりも知っていたハドリアヌスは、治世の大半を使って帝国の辺境を視察し続け、帝国の防衛体制を磐石なものとした。しかしその責務を無事終えローマに戻ったハドリアヌスは、ローマ市民の感覚とは乖離する言動をとり続け、疎まれながらその生涯を終える。そして時代は後継者アントニヌス・ピウスの治世に移るが、帝国全域で平穏な秩序は保たれ続けた。それはなぜ可能だったのか。

http://book.shinchosha.co.jp/bunko/sokuho.html
 ISBNコードは各々4-10-118174-8、4-10-118175-6、4-10-118176-4。8月29日発売予定。